私が心配した通り  その夜、やはり 呼吸が苦しく、 大田の病院へまた搬送されたそうです。
翌19日(土) 朝 白血球数、赤血球数 異常値、発熱などの連絡でまたあわてて大田の病院へ行きました。
とても心配で、色々聞きました。
抗生剤投与していること、もし効かなかったら他の種類に変えていくこと。
輸血の結果こんなことになってしまってとても心配で もう一度輸血が必要かどうか聞いたところ 今のところ必要ない、ということでした。
あまりに容態が悪そうで、 院長に万一ダメな場合があるか尋ねました。
考えたくないがそういう場合もあるということだったので、
今日、明日ということがあるか聞きましたが そういうことはない、ということでした。
心配でずっとあの子のおりの前で見ていました。
明日は日曜日でしたが、明日も面会に来たいといいました。
日曜日は院長が出雲の病院へ行くのでその前の7時半ごろに来てくれと言われ、 別に院長に会わなくてもただあの子に会えればよかったのですが、とてもそんなに早く出雲を出てくることは出来ないので 日曜日に行くのはやめることにしました。

この後 私は大田まであの子に会うために通うことになりました。
あの子に会いたい、けれども 輸血のとき以後 私が行っても 私の顔を見て泣くことも 寄ってくることもなく おりの奥でじっとしていて それを見ると気持ちが沈みました。
病院の治療の結果、却って非常に危険な状態になったこと、私がわざわざ遠くの病院へ通わなければならなくなったことについて 病院の方から 申し訳ないというような言葉は最後まで一言もありませんでした。
ただ 私は黙々と大田の病院へ通い、おりの前で時を過ごしました。


月曜日は 女獣医から連絡があり、土曜日と比べてよくも悪くもなっていないということでした。
食欲がないので のどに管を入れて強制給餌をしたい、ということでした。
私は もういくら後悔しても仕方がないのですが この病院のすることが不安でたまらず
「何かするたびに悪くなるような気がする、強制給餌って 大丈夫なんですか?
誤って気管に入ることはありませんか?」
と聞いたら、
「きちんと確認してからやる」と言うので
「どうやって確認するのですか?」と聞いたら
「最初に生理食塩水を流して見て確認する」と言うことでした。
とても心配でしたが 食べなくて衰弱しているので 仕方がありませんでした。
その時 もともとこの女獣医の抜歯手術の結果こういう大変な状態になってしまったのに 何も謝罪の言葉もないので、
気になっていたので、出血のことを聞いたのですが、「抜歯の時 歯は全部とれたのですか?残っている 歯のかけらはありませんか?」と聞いたのですが、
「歯はきれいに取れた」と言っていました。
「歯のレントゲンはとることできないのですか?」と言ったら
「普通の病院ではそういう設備はない」ということでした。

「輸血のことを後で調べたら、きちんと血液検査をしてからしないと危険だと書いてあった。」と言ったら
「いろんなことを言う人がいる、あの時輸血をしなかったら今生きていない」と言われ何も言えませんでした。
この病院と獣医たちに不信感が募りました。
しかしもう後戻りすることは出来ませんでした。
今思うと ちゃんとした治療が出来ないのなら 早く大学病院に責任を持って送ってほしかったです。
これ以降 あの子がなくなる日まで 主治医であるはずのこの女獣医から連絡が来ることも顔を合わせることもありませんでした。

火曜日には レントゲン写真を見せられて 肺炎になっていると説明がありました。
ああ、もうどうしていいか分かりません。
そのときに はじめて この子は心臓が大きくて 心臓肥大か腫瘍だと説明されました。
びっくりして 「それは急になったのですか?」と聞いたら 私のほうに顔を向けずに 「いや」と一言だけ答えました。
私は今まで初診の時と手術後にレントゲンは撮られたけどそういうことは言われたことなかったのにいつそんなことになったんだろう?と思いました。
もし そうならどうして説明もなく心臓の悪い子に危険な手術をしたのでしょう。?
また このときのレントゲン写真は後になって私がいくら頼んでも渡そうとしませんでした。
やっと代理人に渡した写真がはたして本物なのか?
もちろん出してきたのは障害の写真でしょう。
そうでなければ ”死因は心臓発作” は通用しませんから。

それよりもそのときは 肺炎だと言われもうますます 心配で もうあの子はどうなるのだろうと絶望的になりました。
この心臓障害のことはその後もう一度レントゲン写真を見せられた時にも言われています。
「心臓障害と 今食べられないことと関係ありますか?」と聞いたら 関係ないということでした。
心臓のことについては他には何も説明はありませんでした、もちろん危険な発作の可能性も。
聞いていたら 決して車の移動はさせなかった 決して 決して. ..

それで私は今は心臓のことはとりあえずおいておこう、とにかく今は少しでも食べられるようにならなければ、と思いました。
とにかく そのときは 食欲が戻って せめてこの病院は連れてくる前の状態に戻らなければ、前のことを後悔しても仕方がない、今出来ることを考えようと。
まさかその数日後にあの子が急死し これがあの子の死因にされるとはそのときは夢にも思いませんでした。

のどに管を入れて強制給餌は体調が悪くてやめたということでした。
そのかわり スポイトにどろどろの餌を入れて口の端から入れてやっているということでした。
このまま 食べられなかったらもう衰弱して死んでしまう、と心配で出雲に帰って強制給餌のことを調べてみたら  口をあけて餌を入れてやる動画があったので、 缶詰を持って また午後、大田に向かって急ぎました。
私が 缶詰を口に入れてやってもいいか許可をえて やってみたのですが、食べません。
仕方がないとあきらめたのですが、 病院でスポイトで 1日分の量を食べているということだったので 納得して帰りました。

24日(木)に 体重を計ってもらえませんか?と頼んだら 1.9キロでした。
私はびっくりして 入院したときは まだ2.3キロ以上あったのに 本当にこれで大丈夫かととても心配でした。
自分で少し食べるし、強制給餌はしているということでした。

27日(日) 出雲の病院から連絡があり あの子をこちらに連れてきているので面会できます。ということでした。
私は びっくりして こちらに連れて来ても大丈夫なのか?酸素室から出してもいいのか?車は大丈夫なのだろうか?大田では見る者がいないのだろうか?と思いながら会いに行きました。
あの子はぐたっとしていました。
私がひざに乗せて抱いてやると じっと抱かれていました。
自分で歩けるのかどうかも分かりませんでした。
体重を計ってもらったら1.85キロでした。
また減ってしまいました。
体重を毎日計ってもらえるよう頼みました。
目が白く濁っているような気がして尋ねると 「時々目がみえているのかどうか」と言われ、 うちではそんなことなかったのに、また一つ心配が増えました。
猫は環境に左右されやすい動物なので もとの環境に一時的に返して見てはどうかと一時帰宅を院長から提案されました。
もう酸素室には入れなくてもいいそうです。
私は あまりにやせていて 状態が悪そうだたったので 「とても連れて帰る自信がありません。お願いですから大田においておいてください、私が会いにいきますから」と頼みました。
車の移動がとても心配だったのです。
その予感が結局この数日後にあたります。

30日(水) 酸素室からだして 体重を計ってもらったら 1.9キロに戻りました。少しホットしました。
しばらく抱いていて下に下ろすと すぐに逃げるように酸素室に戻りました。
歩くことはできるんだ。
院長は”帰巣反応”だと言ったけど 多分こわかったのだと思います。
あの子にはこの病院ではもうあの部屋しか逃げ場がなかったのでしょう。
楽園のような我が家から最後の日々はあの子にとって地獄だったと思います。
今でも本当にかわいそうなことをしたと申し訳ない気持ちでいっぱいです。どんなにこわかったことでしょう。

メイセリン、バイトリル(エンロフキサシン)という 2種類の注射をしているそうです。猫に使える抗生剤は限られているので ずっとこれを続けていく。
院長から もう一度 一時帰宅の提案がありました。
私はとにかくあの子が元気になるためには何でもするつもりでしたから それに従うことにしました。
私は もし車の移動が差し支えないなら一時帰宅させてもいいと言いました。
全く問題ないということでした。
スポイトでの強制給餌法を教わりました。
ペースト状の餌を同量の水で溶いて口の端から入れてやります。
家に連れて帰ったら自分でしなければなりません。
「抗生剤は注射以外にありますか?」と聞いたら ないと言うことでした。
それで午後3時には病院に帰してくれということでした。

この段階で病院でする治療はこの注射だけだったようです。
なぜそれでも長距離を移動させてまで入院させていたのかということは 後に院長に説明を聞きに行った時に耳を疑うようなわけがあったのです。

明日 連れて帰ることにしました。
帰ってから メイセリン、   バイトリル を調べてみたら 副作用に、”失明” とあったので、びっくりしてすぐに病院に電話をして問い合わせました。

一時帰宅へ

ペット医療ミス(高齢猫の手術、麻酔、抜歯、輸血の危険性)へ 


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